こんにちは。
スピリチュアルカウンセラーの冥賀都子(エマ)です。
ご質問への回答です。
エマさん
こんにちは。いつもLINE読んでいます。
考え方を教えていただきたく、書きます。
少し前に、長年積み立てていた保険を解約して別の保険に入りました。
そのあと、病気が発覚して本来受け取れるはずの大金を逃し、悔しくて、後悔ばかりしています。
病気のことも心配ではありますが、このお金のことが悔やまれて頭から離れず、夜も眠れません。
どう考えたらいいでしょうか。
もう、どうにもならないことはわかっていますが、自分が許せないし、情けないし、納得できないのです。
毎日苦しいです。
(ペンネーム Mさん)
ご質問、ありがとうございます。
あの時、そんな選択をしなければよかった、なんて馬鹿だったんだろう、と後悔されるお気持ち、わかります。
なんで気づかなかったんだろう、時間が戻ればいいのに!
もっとちゃんと、調べてから動けばよかった!
私もあります。
そしてこれを読んでいらっしゃる方も、皆さん誰しも一度はあるかもしれません。
私はスピリチュアルの業界に長年いますから、見えないエネルギーについて、自分も勉強します。
ありがたいことに仕事柄、お客様の声から気づかせていただくこともたくさんあります。
今日はこの「お金」のエネルギーについてお話したいと思います。
本来自分が受け取るべき大金を逃した、そう思うととても悲しいですよね。
ただ、ここは気持ちを切り替えて
「未来に受ける予定だった大きな厄を落とせた」と考えてみてはいかがでしょうか。
ここでちょっと「エネルギー」の話をします。
エネルギーの法則で、強力なエネルギーの元には他のエネルギーも引き寄せられます。
オーラを放つ芸能人は道を歩いているだけで、芸能人、とわかるエネルギーを発していますよね。
それは、サイキック能力がないと自分で思う人でさえ、わかる例かもしれません。
そして、実はそのエネルギーが大きければ大きいほど、良いエネルギーも集まりますが、悪いエネルギーも集まります。
集まる、というのは「注目される」という意味です。
例えば、クラスメートに
「あ、あの子素敵だな」
と思う子がいたとして、それはみんなが注目するので、良い人ばかりが注目してくれるわけではありません。
学校外で犯罪を犯すような人にも注目されてしまう危険性もはらんでいます。
エネルギーというのは人間なら自然とまとうオーラなので、夜、コンビニエンスストアの街灯に虫が集まるように、それが快でも不快でも勝手に向こうから寄ってきてしまうということを理解しておく必要があります。
お金もエネルギーです。
大きなエネルギーはたくさんのモノや人を動かす力があります。
ですから、自分に有り余るほどのエネルギーを持てば、コントロールができずに間違えた使い方をしてしまう可能性もあります。
エネルギーについて(お金を持つこと)について、良い、悪いのことを話しているわけではなく、お金というものはそもそもがエネルギーなのだ、ということを説明するためにちょっと事例を書いています(お金はたくさん持っているほうがいい、という思い込みが通常あるからです)。
もちろん、実際にこの世はお金で解決できることが多いので多いほうが良いというイメージはあります。しかし、お金があったことで不幸になる人もいます。
・宝くじで大金が当選した
こういう方の末路の話題がよく取り上げられますが、使い方次第です。
ここまで前置きが長くなりましたが、
ご質問者様のお金が手元にこなかった、ということは大きなお金を通して「悪いものを遠ざけることができた」と考えるのが良いと思います。(むしろ、このタイミングで大金を手にしないほうが結果的によかったのだ、と。)
・お金の勉強をしなさい
このタイミングで、今、お金の勉強をしておけばきっと、将来役に立つ。
そのために「痛い」思いをさせられている、という捉え方です。
もちろん、大金を取り戻す策もあるかもしれませんが、もうどうにもならない、あるいはそれをやるのにたくさんの時間と労力を使うのであれば、それを取り戻すまでに「悔しい」という執念の気持ちが自分を支配することになります。「悔しい」は自分に対する怒りのエネルギーです。
そしてそれは、
「ないもの」にフォーカスすることになります。
そもそも、スピリチュアル的には大きなお金が動く時というのは、良い面、悪い面からも注意が必要なのです。
そこに労働、という無理が重なれば「過労」にも繋がります。
棚ぼた、であれば「欲」が出たり「怠惰」が生まれるかもしれません。
パチンコで「初心者ラック」という言葉がありますね。
初めてやった賭け事でたまたま大金をゲットして、その時の快感が忘れられずにハマってしまう、あの時の快感をもう一度味わいたいと。
「ないもの」に執着することで、さらに「ない」状況を作りだしてしまう
無意識の領域では、自分がまとうオーラにも影響してしまいます。
・なくてもどうにかなっているからいいんだ(どうにかなった)
こういう考え方を「あきらめ」と捉えるかもしれませんが、それはあきらめたのではなく、「手放し」です。
苦しい自分を自分で「自由」にしてあげる方法です。
自分が、自分に対して
・もう、こだわるのはやめよう
と思いを手放すことです。
そして、自分のところにやってこなかったけれど、そのお金は別のどこかにいったわけですから、少なくとも「お金の循環」「経済」を回すことに貢献したことになります。
だったら、自分が使いたかった、となるかもしれませんが、ちょっとこれは「傾向」として私が長年エネルギーに触れる仕事の中でわかったことですが、大金を失う傾向にある人はどこかで「お金を貯めこもう」とする傾向にあります。
貯めこもう、とするほど、なぜかどこかのタイミングでどかんとお金を使わざるを得ない場面に遭遇します。
せっかく貯めたのに、全部使っちゃった・・・という状況です。
よくあることだと思います。
ですから、適度に貯めて、適度に使う、これが一番良い流れですし、
良いというのは、日常的に穏やか、という意味です。
考えても仕方のないことは「手放す」というあきらめは新しい扉を開くきっかけにもなります。
「痛い」思いをするから、もうこんな目にあいたくないと「注意」するからです。
もっとスピ的視点で言いますと、宇宙から「魂の約束を果たすために」お金を手放すタイミング(チャンスととらえて良いと思います)を与えられた、と言えるかもしれません。
なぜ、その出来事が必要だったのかを考えてみましょう。
・これまで向き合いたくないことを他人まかせにしてきてしまった
という時にも
こういうことは起こります。
「お金」とは何度も言いますが、エネルギーなので、使う時にはお金と一緒に自分のエネルギーも流しています。できれば、気持ち良いエネルギーをお金に乗せて循環させれば受け取った人もハッピーになりますね。
そして、自分のエネルギーを常に流すことで、正常(清浄)でいられます。
お金を使うことで実は自分のエネルギーの入れ替えもしているのです。お金で買った「モノ」にもエネルギーがあるのですから。
質問者様は、ある意味、お金を世に流したのですから、落ち込む必要はないと思います。
それが巡り巡って、自分のところに(自分が欲しい)エネルギーとしていつか返ってくるのですから、執着する必要はないのです。
今回のことで例えれば、その質問者様の手元にこなかったお金によって、誰かが助かって、その人の笑顔が誰かの力になって、その力が仕事を生んで、またお金を生み出して、そのお金でまた誰かを幸せにして、その幸せの力でその人がさらに腕を磨いてもっと大きな仕事を生み出して、その仕事の対価としてお金を生み出して、そのお金でもっと世の中に役立つことを考えて・・・。
わらしべ長者ではありませんが、エネルギーの交換はお互いに「発展」を意味します。
わらしべ長者から一番最初に「わら」を受け取った人もまた、そのあと長者になったかもしれないと私は思っています。(昔話には一人の物語しか書いてありませんが)
まとめます。
大金を失った時(手元にくる予定だったけれどこなかった時)は、大きなエネルギーを世に送り出したと思って、エネルギーが良い循環を生み出すことを祈る。
そうすることでいつかそのエネルギーが別の形で自分のところに帰ってくるかもしれないし(望めば帰ってきます)、他者の幸せを祈ることで自分も幸せになるのだから、失ったのではなくて、むしろ良い流れのキッカケを得たという話です。
いつまでも過ぎたことでくよくよせずに(それこそ、大切な時間というものの喪失)、今目の前にある幸せ、時間を大切にするほうに意識をフォーカスしましょう。
よく食べて、よく眠って、一日も早く元気に過ごせますように心よりお祈りいたしております。
本日も最後までお読みくださいまして、どうもありがとうございました。