こんにちは。
スピリチュアルカウンセラーのエマです。
先日、映画『怪物』を観てきました。
金曜日の『朝の開運メッセージ』は作品の中で印象的だった台詞をシェアさせていただきました。
【今日の名言】
幸せとは 誰にも手に入らないものではなく、
誰にでも手に入るものの中にある。
by 映画『怪物』
心に残る作品だったので、息子にも観せたいと思ったのですが18歳未満はダメとの指定がありました。(イジメのシーンとかあります)
この映画を観たいと思ったキッカケは、カンヌ映画祭で脚本賞を受賞して、テレビで話題になっていたことと、監督の是枝裕和さんと若い頃にお会いした時のことを思い出したからです。
タイトルが文春的なアレですけど、アレじゃないですよ(笑)
単なる私の思い出話なのですが、その時のことを書こうと思います。
(書いてみたら、すごく長くなって4000文字に到達しそうになったので、お忙しい方はお暇な時で大丈夫ですからね☆本当に私の思い出日記になってしまいました(;^_^A)
あれは私が社会人2年目のことでした。
バブル崩壊後の社会全体ががっかりして鬱々しているような、親世代もなんだなかぁ、とやる気をなくしているような、そんな中で少しでも元気を出そうと励ましたかったのかはわかりませんが、puffyやら globeなどの小室ファミリーがテンポのいいリズムで一世を風靡している時代でした。
当時私達20代の社会人も学歴社会に放り込まれて、わけもわからず競争させられてきたものの、良かったのか悪かったのかわからない、就職してみたけれど、未来が見えないという不満もあったと思います。
マハラジャだのジュリアナだの、もうテレビで取り上げられることはなくなりました。
学生時代に「行こうよ」とクラスメートに誘われることはありましたが、人混みで頭痛がするのでいつも断っているうちに結局体験できずに終わりました。
九州から上京してきたもの静かなナナちゃんと学校近くのカフェで一杯180円のコーヒーを飲むのが毎日の日課で、そんな緩やかな時間が大好きでした。ですので、せっかく田舎からでてきたのにとりわけ活動的、というわけでもなく、講義の合間に時間があると千鳥ヶ淵へ行って、ボートに乗り、「ボートでぼ~っと♪」なんていうダジャレを言いながらサンドイッチを頬張るような学生時代でした。
父親からきつくアルバイトを禁止されていたので、(それでも反抗心もあり)こっそり遺跡の発掘調査のアルバイトをやるくらいでした。
ただのだだっ広い工場跡地で石器時代の(?忘れました)遺跡です。近くを地下鉄も通るような都会にありながらも、一度そこに入ると地面を少し掘り下げた土の中は夏なんかは蒸し風呂みたいになるのですが、そこから見上げる空はなんとも美しく、その切り取られた景色だけ見ていると田舎に戻った気分になれるのでした。
なんだかんだ言っても、まだ都会になじめずにいました。
実家からこっそり持ってきた軍足を履いて、泥だらけになって作業するそこは私にとっては土の香りのするオアシスでした。(実際は、方形周溝墓、という名前のお墓だったみたいですが、苦笑)
就職で栃木に戻ってから間もなく、バブル崩壊後で公的事業は統合、廃止され、倒産した会社などもあり、世間の風潮の煽りを受けて、私が親のコネで入ったその国の団体も何年か後には名前が変わりました。
当然ながら、
親に言われるままに地元に就職した私は、自分の人生に不満を抱えながら鬱々とした毎日を過ごしていました。
仕事そのものに不満はありませんでしたが、父親に決められた職場だったこと、そしてそれに抗うことができなかった自分を情けなく思い、毎日お茶汲み、コピー取りというまさも絵に描いたような昭和の女性の働き方が色濃く残る場所にいる自分にも怒りもありました。
私は何をやっているんだろう。
何度も思うし、実際に意地悪な上司からは
「大学までわざわざ出て、そんな仕事じゃなぁ。かわいそうに。都落ち、ってやつだな。ハハハ。」
と嫌味を言われる始末。
自分で人生決めてやるんだ。
そういう歪んだ動機ではありましたが、誰かの心に響くような仕事をしてみたいと漠然と思っていました。
子供の頃から石や植物や動物が好きだったので、無機質な灰色の事務所でパソコンなどの機械が出す微細なキーンと鳴る音と毎日過ごすことに心が枯れていくような気がしました。(その頃はまだ「エンパス」という言葉も知りませんでした。)
ある日、同じ事務員のNちゃんが報酬のことで納得がいかないとそこの長に申し出たことがありました。そして、上層部と何日か話し合いをしているようでした。
そして、その数ヶ月後。Nちゃんは契約終了という名の事実上クビになって、ひっそりと辞めていきました。
「上のものにたてつくと、こうなるよ。」
そばにいた私と歳の近い先輩がそっと耳打ちをしました。
まだ若いNちゃんが可哀想だと思いましたが(歳が2個上)、そんなことは氷山の一角で、当たり前で常識で、そのうち2年も経つころには慣れて、普通のことになっているだろうとその時、思いました。
その頃は地元の都市開発している最中で、その開発団体の事務員だったのですが、私の仕事は用地買収した土地を図面に赤く色鉛筆で色を塗ることでした。時々、上司が作った事業計画書の清書をパソコンを使って仕上げました。
そんな息苦しい風潮と自分の他力本願就職の結果に嫌気もさして、時間を見つけては、父親の目を盗んで、再就職先を探していました。
とても厳しい父でした。今はもうかなり歳を取りましたので勢いはないですが。
一度、採用の通知が来たのに、私の知らない間に処分されていたこともありました。
私にかかってきた男性からの電話はことごとく切っていたようで、それは今になって、「あの時、いっつもお父さんに電話切られてたなぁ。」と30年も経ってから同級生とかに言われるのでした。
そんな中、あるテレビ制作会社で海外リポーターを使った番組制作のスタッフを募集しているのを知りました。
海外への憧れとそのために英語を頑張ってきたような気がして、その努力を何の役にも立てられない自分への償いの気持ちもあって、その会社に履歴書を送るのに何の躊躇もありませんでした。
就職試験の一次選考として、課題が出て作文を書きました。
その課題に目を通したのが是枝監督だったのです。
監督はまだ独立されておらず、番組制作に関わっていました。
おそらく30代前半だったと思います。
一次試験を通過した私は二次試験の面接を受けに東京までいきました。
試験の後、大きな会場に受験者全員が集められました。
緊張が一気に解けたからか、是枝監督が何かお話しをされましたが、内容が頭に全く入ってきませんでした。私は「是枝裕和」という名前だけ覚えて会場を後にしました。
日比谷線の駅を探して歩いている時、会場で隣の席だった男の子と帰り道が同じだったので駅に向かって歩きながらお互いに自己紹介をして、少し話をしました。
彼は「講談社」と「集英社」を受けたと言っていて、現役の東大生でした。
私はその時、こんな凄い人達と比べたら、どうせ落ちただろうな、と思いました。
そして、すっかりあきらめがついたというか、なんだか清々しい気持ちで栃木までの電車の窓から見えるいつもの田園風景を眺めなから、これは夢だったのかもしれないと思いながら帰ったのを覚えています。
何日か後にポストに手紙が届きました。
父親に見つかってまた捨てられるという失態は2度としたくなかったので、毎日できる限りポストを覗いて待ちました。
運よく、自分でその手紙を受け取ることができました。
案の定、試験には落ちましたが、
その落ちたという知らせの手紙の中で是枝監督からメッセージが書かれていました。
そこには
「あなたの作文が僕の目に留まったということは、それだけ人を惹きつけるものがあったからです。どうぞあきらめずに夢に向かって頑張ってください。」
と書かれていました。
会社の就職試験に
こんな温かなお手紙で不採用の手紙が来るとは思いませんでした。
会場で白いシャツにネクタイを締めずにラフな、なんとも爽やかな印象で都会的な感じがした是枝さんの姿がぼうっと脳裏に浮かびました。
監督の言葉は胸に強いインパクトを与え、今も時々思い出します。間違いなく、あの時受け取った「言霊」は私の生きるエネルギーになっているのだと思います。
どこかで是枝監督の名前を見かける度に、思うことがあります。
人の心を動かす人というのは、いつしか社会を動かす力になるのだということを監督自身が証明しているということです。
小さな光でもいいから、誰かの心を照らすことがどんなに尊いことなのかを今も教えられているような気がします。
『怪物』
の感想は、これから観る方もいらっしゃると思うので、ここには書きませんが、
この映画を観て、芥川龍之介の『羅生門』とか『藪の中』という作品をもう一度、読み返したいと思いました。(ピンとくる方、いらっしゃると思います)。
そんな内容でした。
ちなみに、脚本賞を受賞した脚本家は『東京ラブストーリー』も手掛けた坂元裕二さんです。
(懐かしいですね~。リカとカンチ♪)
さて、今日は日曜日ですね。
先日息子が体育の授業中にバスケをやって、突き指して帰ってきたので医者に連れて行ったら、骨折してました(苦笑)
中学の時のバスケ部だったはずなんですが・・・(笑)
人生はいろんなことがありますね。
また、何か気づいたことがありましたら、シェアさせてくださいね。
雨降りですが、良い休日をお過ごしください☆(今日は2023年6月11日です。)
本日も最後までお読みくださいまして、どうもありがとうございました。