こんにちは。
エマです。
今日は
・依存症について
もし、お役に立てればと思い書いてみました。
以前より多かったご質問の1つです(実際カウンセリングでもよくあるご相談でした)。
「依存症かもしれません。やめられません。」という悩みについてです。
まず、
「依存はいけない」ということを言葉としてわかっていても、それがなぜいけないのか、どう「いけない」ことなのかということを考える必要があるかと思います。
アルコール依存なら、健康に悪い、と言われます。ただ、少しのお酒ならば睡眠導入剤となり、むしろ健康に役に立ちます。
「依存」という言葉は「それを頼りにする、よりどころとする、それなしでは生きてはいけない状態」ですが、それ自体が誰にも迷惑をかけるものでないのならば「いけない」こととは言い切れません。
それなしでは生きてはいけない、という意味では動物は「食べ物」に依存していることになりますし、子供は親に依存していることになります。
それは「いけないこと」ではありません。それは生きるという目的では「必要不可欠」です。
しかし、
ギャンブル依存でお金を借金してまでやる、ゲーム依存で勉強する時間が奪われる、など他人に迷惑をかけたり、自分の人生においてマイナスな結果をもたらしたりするのであれば「依存」という状態が不幸を引き寄せる「いけないこと」になります。
その「依存」が悪いかどうかは、その目的にはその行為が必要不可欠かどうかを考える必要があります。
「依存」という言葉のイメージに引っ張られてネガティブな気持ちにもなりますが、
それがあるおかげで、心の安定が持続するなら、一概に悪いとは言えません。
例えば「東大に合格する」という目的があるにも関わらず、ゲームをやめられなかったら、その時はストレスから解放されているかもしれませんが、むしろ時間を奪われているという別のストレスが発生して、精神的に追い込まれてしまうかもしれません。
その場合は、適度に気分転換のための(目的)ゲームなら役に立ちますが、単なる現実逃避の(目的)ゲームであれば、東大合格という大きな目的を阻害するのでやらないほうがよいこととなります。
「私の行動は依存なのか?」
と苦しくなったら、
・何のためにそれが必要なのか?
・それはどういう結果をもたらすのか?
・それがなくても代わりになるものはあるか?
・代わりになるものがあったとして、どちらが自分のライフスタイルに合っているか?
を考えてみるとよいと思います。
目的に対して代わりになるものを考えてみた場合に、例えばストレス解消に「カラオケ」もあれば「スポーツで汗を流す」もあれば、「温泉でリフレッシュする」、「動物を飼って癒される時間をつくる」など全部、目的はストレス解消で同じになるかもしれません。
それぞれに時間もお金もかかるのは同じです。
時間とお金にさらに余裕がある人なら、「海外旅行」という選択肢もでてくるかもしれません。
趣味でフィギュアを集めることもその人にとってはストレスを和らげる癒しのひとときということもあります。
結局のところ、人間はどこかでお金も時間も使って何かしています。
「依存症」となれば継続性があることが前提ですから、それが高額ならば「お金の使い方」という問題が出てきますし、人が絡んでくれば「人間関係」の問題が出てきます。
お金の問題では、どこまでが許されるのか、ということになるかもしれません。買い物依存でも安価なキャラクターグッズのコレクションなら「いいのか」?
どこまでが安価なのか?子供にとっては高額でも大人にとっては安価なのか?
目的に沿って考えてみれば、「よい」のか「やめたほがいい」のかの判断がつくでしょう。
判断基準は人それぞれになりますが、すべては「何のために?」を意識していれば、モヤモヤが晴れると思います。
そこにはやはり「自分の意志」がきちんとあるかないかが重要です。
もう一つの例で、例えば、高価な買い物をするかしないかで悩んだとしましょう。
今の自分にはこれは高価だけれども、〇〇の目的のためには今はこれが必要で最善の方法だと思えるのなら、「今は」それが正解なのだと思います。
それがあることで自分が輝いていられるなら(心が元気でいられる)、その人にとって長い目で見れば安い買い物なのかもしれません。
例えば、『ライザップ』もそうかもしれません。高額だけれども、今、それをやらなければならない状況に追い込まれたら(例えば、モデルオーディションが3か月後にあるなど)、短期で結果のでるものなら価値が十分にあるはずです。
また、別の「最適解」が見つかればそちらにシフトするかもしれませんし、その時その時で手段が違っても自分が納得していれば何も問題はないはずです。
依存に関して問題になるのは「迷惑をかけているかもしれないけれど、まあいいや」という納得していない状態にもかかわらず、目的のために他人を犠牲にしてまで(不快な思いをさせてまで、あるいは相手に甘えて)自分の目的を達成しようとする態度です。(人間関係の問題が発生)
あるいは、その継続的な行為によって別の問題が発生しているにもかかわらず、その問題を放置している態度です。
それは「依存」そのものが問題なのではなく、他人を巻き込んで「人間関係」を悪化させてしまっているのが問題ですし、あるいは自分で自分の行動をコントロールできないでいることにより「自己嫌悪」に陥ってしまうのが問題です。
冒頭の
「依存症かもしれません。やめられません。」という悩み
が出てくるということはそれによって、何か問題が発生していると本人に自覚があるのだと思います。
それから余談になりますが、そういう問題がでてくることなど依存によってどうなってしまうのか、わかっていて誰かがやっていることなら、それは本人の認識していることなので他人が問題視することもないように思います。
アドラー心理学でいうところの「他人の課題」になりますので、そこであなたが「やめたほうがいいよ」と忠告することによって別の人間関係の問題に発展しかねません。
それによってこちらが迷惑しているなら、関係を断つとか、その人に関わらないようにするなどこちらが行動を変えることでしか、状況は変えられないでしょう。
まとめると、
依存症について考える時、それによって何か問題が発生してくるのであれば
行動の目的をはっきりさせて、期間を決めたり、金額を決めたりすることで解決するはずです。
あとは、意志の強さです。
単にその行為をやめればいい、というものでもありませんのでよく目的を考えることです。
そうしないと、それを別の手段に変えたところでまた別の問題がでてくることになりかねないからです。
依存について、ご質問がありましたので、こちらから回答させていただきました。
現在、ご質問は受け付けておりませんが、これまで取り上げていなかったことで皆さんにお役にたてるトピックがあれば、シェアという形で回答させていただきます。
ただ、2年分のご質問に対する回答がすでにありますので、重複するようでしたらそちらの記事を読んでいただくことでご勘弁ください。
毎日ありがたいことにたくさんのメッセージをいただいております。いただいたメッセージはすべて目を通しております。本当に感謝しかありません。
心より、御礼申し上げます。
時間の都合上、個別でお返事ができない状況となっております。この場をお借りしてお詫び申し上げます。
皆様にとって少しでも自分らしい人生を送るヒントになりましたら、嬉しいです。
本日も最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。