こんにちは。
スピリチュアルカウンセラーのエマです。
先日、
タイ バンコクにあります 『エラワン廟 Phra Phrom (Erawan Shrine)』に行ってきました。
※日本人の間では「エラワン・プーム」が浸透している言い方ですが、現地ではその言い方では通じないので「プラ・プロム(タイ語)」「エラワン・シュライン(英語)」のほうがいいみたいです。
エラワン廟(びょう)とは
~タイ国政府観光庁より抜粋~
「グランドハイアット・エラワン・ホテル」前にあるヒンドゥー教の祠で、一年中国内外からの参拝者で賑わうバンコク屈指のパワースポット。
1953年に「グランドハイアット・エラワン・ホテル」の建設工事が始まりましたが、当時事故が多発して工事がなかなか進まず、占星術師にヒンドゥー教神のブラフマー(宇宙の創造を司る)を祀る祠を設けるよう勧められ、祠が完成した後は工事が順調に進みました。それ以降、「願い事がかなう神様」として人々に知れ渡り、病気平癒や家内安全から金運、人気運UPなどの願いを叶えるべく、今も絶えまなく多くの人たちがお参りに訪れるようになりました。
ここで願い事が叶った人は、神様に踊りや音楽を奉納する習慣があり、敷地内に舞踊団が待機しています。毎年、「グランドハイアット・エラワン・ホテル」の竣工をした11月9日は、盛大に記念のお祭りを開催。ここで寄進されたお金は、病院の医療設備の購入に充てられたりしています。
エラワン廟にまつられている神様はブラスマー神です。
ブラフマー神は日本でいうところの「梵天」と同じ神様です(日本の最高神、アメノミナカヌシと同じとも言われています)。ヒンドゥー教でヴィシュヌ神、シヴァ神、と共に最高神の一柱(神様は一人、ではなく、一柱と数えます)です。
願い事ならなんでも叶えてくれる「創造の神」ですから、迷ったら、まずココ、でもいいかもしれません。もちろん、絶対に叶えたいことがあれば、しっかりお願いしましょう。
金運、健康運、恋愛運、家庭運、人気運、仕事運などあらゆる願い事にご利益があるそうです。
バンコクでも街の中心部にありますから、電車の乗り方さえわかれば、どこからでも簡単にたどり着けます。(最寄り駅のチップ・ロム駅からは歩いて3分、しかもほぼ日陰を移動できますので、暑いのが苦手な方にもおすすめです)
(駅構内連絡通路)(神様があちらこちらにお祀りされています。案内図)
(駅を降りてすぐの階段を下ると、もう目の前です。)
(ここが入口)
入口から中に入ると右手にお供え物を売っている場所があり、値段によって供物が違います。
その売り場の横では願いが叶った方々が奉納する舞がお披露目されています。楽器の生演奏とタイ舞踊を間近で見られますし、何よりも「幸せな気持ち」をシェアさせていただけるのでこちらも波動が上がります。
私が到着した時はまだ午前中でしたが、奉納の舞がひっきりなしに捧げられていました。
ということは、それだけ「お礼参り」が多く、皆さんの願いが叶ったということですね。
ありがたいことですね。
スピリチュアル的に「イヤシロチ」と呼ばれるパワースポット(その場にいるだけで波動が上がり、運気が良くなる聖地のこと)には悩んでいる人がたくさん訪れるので、「気」が悪いのでは?と思われるかもしれません。
しかし、実際は願いが叶うことで人が人を呼び、噂が広まり、人の流れ、お金の流れ(お金もエネルギー)が生まれます。
多くの人が訪れることで、その場所も活気に満ちます。
悩みがあって訪れている人、願いが叶って幸せを報告しに訪れる人もいます。祈りや感謝のエネルギーというのは目には見えなくてもとても強いエネルギーです。
光は闇を打ち消します。
ですから、悩みがある人はどうぞ心配せずに、積極的に光のエネルギーを浴びに出かけて行ってくださいね。そして、願いが叶った人もどうぞその幸せが続きますように、また、同じように悩む人にも光が降り注ぎますように、お礼参りをされると良いと思います。
(私もみんなに混ざってお祈りしました)
お供え物は基本的に「お花」「お線香」「ろうそく」がセットで売られていて、値段によって数が違います。
私はかごに盛られている見た目の感じでこちらが気に入って、300バーツのセットを購入。
写真に載ってないのですが、このかごに乗るくらいの小さな象の置物もオプションで買えます(20バーツ~)。
あとから、他の方のかごの上に象さんが乗っているのを見て、気づきました。
<正式な参拝方法>
お供え物を買ったら、入口正面に立つ。
お祈りをする場所が4面あるので、入口正面から左回りに少しずつお供え物を置きながら4面お祈りする。
お祈りする時は手を合わせて3回お辞儀をする。
名前、年齢、生年月日、住所、願い事を言う。
願いが叶ったら、御礼参りをする。
ちなみに、ブラフマー神の真言(マントラ)は
「ノウマク・サマンダ・ボダナン・ブラフマネイ・ソワカ」です。
※真言(マントラ)とは・・・神様を称える言葉。「魔」を祓う言葉として呪術的に使われる時もあります。家に帰ってから、ブラフマー神に祈る時に唱えるとよいです。
(しばらく敷地内のベンチに腰掛けてでボーっと心地よいエネルギーに浸っていました。右手の金色の象さんは奉納されたもの。)
私もなるべく、聖地ではお金(エネルギー)を落とすようにしています。具体的には「お守り」や「捧げもの」を買います。大自然そのものが聖地であれば、なるべくゴミを拾って帰ります。
そしてタイでは、像の近くに「ドネーションボックス」と書かれた、お金を入れる箱が設置されているところが多いです。時間がない時は、そこにいわゆる「お賽銭」としてお金を入れて帰るようにしています。
そこの聖地が綺麗にお掃除されていることや運営には何かしらお金がかかるのがこの三次元という世界です。実際にゴミを片付けている方、奉納の舞の受け付けをする方、舞をする女性達、奉納品をセットする方、それを売る方のお給料はおそらく運営費からまかなわれているはずです。
そこには多くの方々の力(思い)が実際に見えます。私達が気持ち良く参拝できるのもそういった方々のお陰でもあります。神様にいつも気持ち良くそこにいていただけるように、みんなで力を合わせています。
そんな温かな「思いやり」とか「優しさ」といった光のエネルギーが満ちた場所には「魔」は寄り付くことはできないはずなのです。
人間、人生において、どんなに頑張ってもどうにもならないことに出くわしてしまうことがあります。
そんな時に、エイっと何かを新しく始めることは億劫なものです。だって、どうしていいかわからないのですから。どうやって「魔」から逃げたらいいかわかりません。
だとすれば、逃げることができなければ、「魔」のほうから去っていただく方法をとるしかありません。それがパワースポットと呼ばれる聖地を訪れることだと私は実感しています。
私も実際、そうすることで長くて暗いトンネルから抜け出すことができました。(ここからはちょっと長くなるので、読み飛ばしていただいてもかまいません)
もちろん、自分自身の思い込みや間違った先入観や固定概念が原因で負のスパイラルにはまってしまうということはあります。けれど、その渦中にいる間は本人は気づかないのです。気づかない、気づくことができない。だから、苦しいのです。
先の見えないトンネルの中をいつまで走ればいいのだろう。自分の何が間違っていて、何を正せばよくて、何をしたらこの苦しみから逃げ出せるのかを毎日、毎日考え続けても答えがでない時もあります。
こんなに頑張っているのに、悪いことしか起こらない、もう一生悪いことしか起きないんじゃないかと思うくらい、気持ちが落ちた時も数えきれないほどありました。
でも、今こうして、大好きな石を扱うお仕事ができて、おかげさまで13年目を迎えることができ、自由に世界を飛び回ることができているのも、目に見えない「いろいろなこと」に気づき、そこから自分の内面を見つめ直したことがすべての始まりだったと思うのです。
20代と30代で離婚を2回経験しました。子供達にも散々、寂しい思いをさせました。親兄弟、友人にも心配かけました。私のせいで過労がたたり、母が入院をしました(私が仕事をしている間ほとんど私の子供の面倒をみてくれていました)。仕事でもパワハラ、セクハラ、経験しました。お付き合いした人からアザができるほどの暴力も経験しました。友人だと思っていた人のお母さんが病気ということでお金をだまし取られたこともあります。
サラリーマン時代(20代)に職場で元上司から私へのセクハラ・パワハラがありました。同僚の助けにより明るみにでて元上司がそのことで減給処分になったこともあります。もちろん立場的に私自身がそこを辞めるということで決着しました。会社全体でセクハラ再発防止の勉強会を開いていただいたこともあります。
起業してからも初めはまったくうまくいきませんでした。詐欺、サイト乗っ取り、商品代金を〇十万もお客様に払ってもらえないなどの困難にも遭いました。
サイト乗っ取りに関しては、中国系の詐欺グループが私の連絡先を使って自転車を販売していました。自転車を買った人が「お金を振り込んだのに自転車が送られてこない」という連絡をしてきたことで発覚。しかも、その方はなんとテレビCMでもおなじみの大会社の社長でした。実際には大会社の社長の名前を語る他人で、実は、その会社の総務課の社員が社長の名で経費を使って内緒でネットから個人的に使う自転車を買ったようで、これまた警察をはさんで連絡をとるのに大変でした。
社長の直筆である日、手紙が届いたのです(実際は社員が自分で書いた手紙)。会社に電話をするとまず、秘書から「何の用ですか?」と取り合ってもらえなくて話が進まないのでした。仕方がないので警察署から電話を入れて、さきほどの事実が発覚しました。そのあとは警察の方にお任せしたのでわかりません。
まとまった商品の材料(石)を揃えるために石の業者さんに依頼するも、たくさんの私のオリジナルアクセサリーのデザインを送ったところ、返事を待っている間に丸ごと盗用されたこともありました。見積を依頼したのに2週間経っても返答がないなと思って調べてみると、その業者さんが業者自身のサイトで私がデザインしたものを社員に作らせて自分のオリジナル商品として販売していたのです(ある程度の名の知れたところです)。
でも、どんなに正しいことを言っても個人の小さな力というのはつぶされてしまうのですよね。
その業者の社長さんからはこう言われました。「あなたのデザインを盗用したという証拠はないのだから、訴えても無駄ですよ。むしろ、うちのほうがあなたなんかより有名なんだから、あなたが盗用したってことになるでしょうね。お気の毒様。」
とあるテレビショッピングに〇十万もお支払いをして商品をプロモーションして、1個も売れないこともありました。この時、「最低100個は売れるから」と言われ、一月かけて300個分のブレスレットをせっせと製作して本番に臨んだけれど、結果、0個でした。しかも、撮影のために送ったサンプルの商品さえ、戻ってきませんでした(北海道の業者でしたので、取りに行く旅費を考えると合わないので断念せざるを得ない状況でした)。
別の話ですが、一年ほど取引していた業者の担当者から「個人的にお付き合いしてほしい」と言われ、お断りしたことが原因でで取引がなくなった時はショックでした。
その人に「俺と付き合ってくれないなら、取引をやめる」と言われました。さらに、その人と縁を切る時に言われた言葉は「お前がやっているような弱小ビジネスはつぶしてやる」という言葉です。
大切に築いてきたはずの信頼関係は一瞬で崩れ、当時、アクセサリーの材料となる石をほとんどそこの業者さんから仕入れていたので、新たな取引先を一刻も早く探すしかありませんでした。この時、学んだことは、「何の石を仕入れるか」よりも「誰から仕入れるか」のほうが大事だということです。
この時味わった虚しさ、悔しさは一生忘れません。
こんな人から石を買って、お客様に渡していたのかと思うと、悔しくて、悲しくて、涙がポロポロと溢れてとまりませんでした。閉店後、シャッターを下ろして誰もいなくなった(当時パートさんもいました)店内でワンワンいつまでも泣いたことを昨日のように思い出します。これらはまだ起業して2年目くらいに経験した辛い思い出です。
自分の力のなさを突き付けられたことがキッカケとなり、私は自分の足を使って「本当にエネルギーのある、人を幸せにする石を求めて」海外まで石を探しに行くための準備を始めることにしました。仕事をしながら語学からやり直し、業者に偽物をつかませられないためにも鉱物学的な勉強も続けました。石の資格も取りました。勉強会にも行きました。ビジネスについて教えてくれる師匠に出逢い、夜遅くに帰宅して子供を寝かしつけてからも夜が明けるまで、勉強をしました。一日3~4時間くらいしか眠れなかったし、何年も休暇を取る暇はなかったけれどやれることは全部やってきました。
当時のパートさん達にもたくさん助けてもらいました。近くにいる子はもうママになり、たまに会ったり今でも仲良くさせていただいています。今も心から感謝しています。
チャンスはすぐにはやってきませんでしたが、神様はちゃんと見ていてくださいました。夢はこうして叶ったのですから。
ここで愚痴を書いているわけでありません。これが現実なのです。自分と同じ価値観の人ばかりいるわけではありません。こういう経験は他にもたくさんあります。
ただ、良いことも悪いこともやっぱり「引き寄せ」たのは私自身だということに途中で気づくわけです。
少しずつ、少しずつ、まさに「目から鱗が剥がれ落ちる」ように、時間がかかりましたが自分に見えている世界はいかに自分が作り出した世界だったかを思い知る体験を重ねていきました。
誰のせいでもなく、私はただ自分が見たい世界を自分の「色眼鏡」で見ていただけなのです。だからそういうことを引き寄せていたのです。(うまく伝わっていなかったら、ごめんなさい。言葉で説明するのはとても難しいですね。)
話を戻しますね。
石をそばに置くこと、触れること、そしてパワースポットと呼ばれる聖地を訪れることは間違いなく、自分のそういった「悪習慣」や「負のスパイラル」を断ち切るためのスイッチになります。
それらは、自分にまとわりつくエネルギーを変える行動だからです。自分が発するエネルギーを変えるというのは頭で考えた「意思」では難しいのです。習慣だからこそ、無意識にそういう行動をしてしまうし、その違和感に気づかないのです。習慣というのは厄介なものです。
そんな時、自分が身を置く環境を変えることによって自分を取り巻くエネルギーを変えることができるのです。自分が肉体ごと移動するのが難しいときはその場のエネルギーを一瞬にして変えてくれるのが石(パワーストーン)が役に立ちます。移動ができるなら、聖地(パワースポット)を訪れることをおすすめします。
イメージとしては泥水につかっていたゴボウを清流にいれる、と「あ、こんなに泥がついていたんだ」と気づくことができるのと同じ感じです。別にゴボウが悪いわけではありません。ゴボウはゴボウという価値です。私という価値は、どこにいても変わらないのですが、居る場所によっては状況が客観視できないという例えです。
とはいえ、切り替えスイッチを押すのは、やっぱり自分なんですね。
その場所に「行こう」と思わなければ、家から出ようと思いません。
石に「触れてみよう」と思わなければ、石には出逢いません。
幸運の種に出逢いたくても、そのチャンスを自分が作らなかったら、現状は変わらないのです。
肉体を持つ以上、いくら念力が強くても念じただけではまだまだ現状を変えるには弱すぎるのです。
だから、全身、肉体ごとその聖地に持って行って、清々しいエネルギーにどっぷり浸かることで余計なものが取り払われて、さっきのゴボウの泥水の話のように、心の目に見えるのです。まさに、これが「気づき」です。「ああ、何かいろいろ余計なものを身に着けて生きてきたんだな」と。意識が、本当に魂が望んでいる生き方に目覚めるのです。これまでの自分と本来自分が望んでいる魂の違和感(ズレ)に気づくと、それがいつしか行動に変わり、現実が早く変わり始めるのです。
これは、まぎれもなく、私の実体験です。
私は仕事の合間に(具体的にはお客様の予約が開いたほんの1時間とか)ちょっとでも時間を見つけては、近くの神社に足を運びました。そして、そこのエネルギーを全身に浴びてからまたお店に戻り、仕事をしました。早く、本当の自分に目覚め、完全に、ブレない軸を取り戻したかったからです。エンパス体質ということもあり、どんな些細なことでも、悪いエネルギーをお客様に伝播させるわけにはいかないと思っていました。
私が扱っているのはただ物質としての「石」ではなく、「幸せを引き寄せる地球の祈りそのもの」で自然からお預かりした宝物だからです。何千年、何億年もかけて地球が一生懸命に生んでくれた地球という星の光そのものなのです。それは今も変わらず、私はそう思って大切に石を扱わせていただいています。
小さな一歩でもいいのです。近所の神社でもいいのです。
皆さんが私の記事をご縁があって今、こうして読んでくださって
「どこか行ってみようかな」
そう思ってもらえるキッカケになれば嬉しい、そういう思いで、石と一緒に聖地を旅しています。
私がパワースポットと呼ばれる聖地で石をアチューメントするのも、そこの良い「気」を少しでも、皆さんに届けたいとの思いからです。
最後長くなってしまいましたが、エラワン廟での様子はあらためまして編集した動画でご紹介したいと思います。(今、準備中です)
もう少し、お待ちくださいね☆
本日も最後までお読みくださいまして、どうもありがとうございました。
少しでもお役に立てましたら、幸いです。
追記)
こちらのブログでは特定の宗教をおすすめしたり、勧誘したりする意図は一切ありません。
全て自由で、その信仰心は自分と神様との対話なのでむしろ誰にも言う必要はないと思っています。一柱の神様に絞る必要もなく、ご縁のある神様とは自然と繋がるものですし、疎遠になる神様もいらっしゃいます。私達の魂の成長に合わせて、出逢い方も人それぞれだと思います。
前世との絡みや、相性、カルマなどももちろんありますから、行きたくないと思われる場所もあると思います。反対に他の人にはそうでもない場所でも自分にとっては聖地、という場所もあります。
あくまでも、こんなパワースポットがあるよ、というご紹介をするための記事だということを付け加えておきたいと思います。
スピリチュアルな世界をどうか怖がらず、いつもそばにある身近なものとして、楽しんでいただけたらと願っております。