こんにちは。
スピリチュアルカウンセラーのエマです。
ふと、昨年の秋に「フランスへ。ミカエルの旅。」というメッセージが降りてきました。
なぜか、そのあたりから天使さんのことが気になり始めていて、ちょうど年末の福袋の中身を決める時期でした。なので、その流れで福袋の中身のひとつに天使さんの器を選びました。
今思えば、レーザークリスタルを選んだのも、ミカエルさんの「剣」がイメージされていたのかもしれません。無意識に動かされ、後から答えがわかるということもたくさんありますね。
福袋を通じてご縁をいただいた方、ありがとうございました。人生を改革していくタイミングかもしれませんね。
ミカエルさんと言えば、天使さんの中で最高位にあり神に最も近い存在の天使とされます。
剣を持ったミカエルさんは神に反逆した悪魔を退治したことで知られ、また、中世の戦では勝利を祈念してミカエルさんを崇拝、人気が一気に高まりました。中世の絵画でもミカエルさんを題材にした作品は多いですね。
(Wikipediaより引用)
私の中では「不動明王」のようなイメージがあります。
悪いもの、悪癖や悪い因縁をバッサバッサと切ってくれるようなイメージです。
そしてミカエルさんと言えば、もう一つ、重要なお役目を担っています。
死者を冥界に導く役割です。死者が天国に行けるか、地獄に落ちるか判決を下すのがミカエルさんとされています。中世の宗教画では、キリストの足元に立ち、死者の魂を量りにかけて天国行きか、地獄行きかを決めるミカエルさんの姿がしばしば描かれています。
(Wikipediaより引用)
そんなミカエルさんに会いに、フランスへ聖地巡礼の旅に行ってきました。
あまり事前情報を入れず、思い立ってインスピレーションでミカエルさんのお告げで建てられた修道院「モンサンミシェル」と「ジャンヌダルクの聖地、ルーアン」へ行くことにしました。
いざ、モンサンミシェルへ
日本から飛行機で12時間、アラブ首長国連邦のアブダビに到着。ここから乗り換えてフランスパリを目指しました。アブダビから7時間。
アブダビはドバイやカタール(サッカー、ワールドカップの開催地でしたね)の近くです。
飛行機からみると、砂漠。ディズニー作品の『アラジン』に出てくる家の街並みが見えて、初めて見たので感動しました。
日本は木の家、ヨーロッパは石の家、アラブは砂土の家。
私たちの生活は自然(地球)と共生していることを実感させられます。
日本を出国してから、ようやくパリに着いた頃にはちょうど24時間後くらいでした。ちょっと日本よりも肌寒く、持ってきたダウンコートをスーツケースから出して着ました。
モンサンミシェルへはパリから一路、255kmをバスで移動。3時間40分の旅です。
車窓から見るフランスの田園風景はその昔、美術館でみたコローの風景画のように長閑で時間がゆっくりと流れているようでした。
雲が多く、しかし、曇っているわけではなく、時折太陽が顔を出しながらいくつもの雲がバスの速度に合わせて頭上を流れていきました。
途中、ゆっくりと近づいてきた雲があって、龍雲でした。
フランスにも龍神様がいる・・・と思うと日本からついてきたのか確認したかったのですが、すでに遠くに過ぎ去っていきました。ご挨拶だったのかな?
モンサンミシェルにあと5分で到着するという時、不思議なことが起こりました。
急に空が暗くなったかと思うと、突然雨がパラパラと降ってきました。
雨は強くなり、バスの窓に音を立てて打ちつけます。
まるで、緑色の絵具をぐちゃぐちゃしたような雨の雫がさっきまで見えていた美しい風景をゆがませます。ああ、何も見えない・・・。
と、その次の瞬間に、雨が止み、太陽の光がサーッと地上を照らしたかと思うと7色の虹が現れました。
「虹―!!虹、虹!!」
バスの席を思わず立ちあがって後ろを振り返ると、それはダブルレインボーになって、見事に地平線に半円を描いていました。
ドキドキしながらもう一度、前方を見ると、そこには小さな三角のこんもりとした山が遠くの海の中に突き出ています。
そう、それがモンサンミシェルを初めて見た瞬間でした。
バスはどんどんその三角に近づいていきます。
何度か田んぼのあぜ道を曲がって、ついに、モンサンミシェルへ続く道の入り口にバスはゆっくりと停車しました。
バスを降りると雨もすっかり上がって、今度は強い風が吹いています。
「あれがモンサンミシェル。ミカエルさんが選んだ聖なる場所に今、いる。」
安堵とともに無事に到着したことに感謝しました。
そして、その時はもう日没間近だったので、遠くに見える三角の山も次第にグレーの影になり、時間の経過とともに闇に消えていきました。ホテルにチェックインし、翌日に入島する準備をしてベッドに入りました。長い長い旅で疲れたのか、気づいたらもう朝でした。
<次の日>
モンサンミシェルの島へは長い道が続いていて、歩くと30分くらいです。シャトルバスもでています。
私は途中までシャトルバスに乗ることにしました。はじめ、持ってきた石達をキャリーバッグに入れたのですが、直前の情報で「大きなバッグはセキュリティの人に止められて島に入れないかも」ということで急遽、トートバッグに入れ替えたのでした。
石の買い付けで石を持って歩くのは慣れていますが、さすがに長時間となると、肩にバッグの紐が食い込んで痛くなります。リュックを持ってくればよかったと思いました。
乗合のシャトルバスは早朝9時なのに満席でした。朝日を受けて、遠くで海面がキラキラと反射していました。
この島はイギリスに近いことで百年戦争の時に要塞として使われたり、監獄としても使われたりしました。
悲しい歴史があるものの、島の佇まいに不穏な気はなく、それもミカエルさんが何年もこの地を守ってくれていたからだと感じました。
(バスを下車してどんどん歩きます)(やっと島の入り口に到着)
言い伝えが残っています。
708年のある夜、モンサンミシェル近郊にあるアヴランシュの街の司教オベールは、夢の中で大天使ミカエルにこう告げられます。
「この岩山に私を祀る聖堂を建てなさい」と。
オベール司教は最初それを信じようとしませんでした。
ミカエルは三度も夢に現れて、三度目にはオベール司教の額に指をかざして稲妻を走らせたのです。翌朝オベールが頭をさすって調べてみると、なんとそこに穴が開いていたのです。さすがに、これは本物ということで修道院を建てました。
現在アヴランシュのサン・ヴェルジェ教会に保管されているオベール司教の頭蓋骨にはその時の穴がハッキリ残っているそうです。
ただ、私はこの言い伝えを聞いた時に、ミカエルさんがオベール司教の額に指をかざしたのは「第三の目」を開眼させるためだったのではないかと思いました。
目を覚ませ、と。
稲妻が走ったように感じて、そこからオベール司教はいわゆる「視える」ようになったのでないかと。これは私の見解にすぎませんが。
いろんな思いを馳せながら、島内をぐんぐん進んでいくと、ここからは有料という入口があり、チケットを渡して、セキュリティーチェックのためにバッグの中を見せて中に入りました。
イヤホンガイドがあったので、念のためその場で借りました。しかし結局、島内の気がとても清々しく感じられて電波自体がその時の私には不要のものに感じられ、使いませんでした。
教会の静けさや石塀の匂い、すべてを五感で感じたくなったのです。
島内の彫刻には顔のない像もあり、戦争の痛々しい痕跡もありました。
しかし、1000年以上もの時を経ても今なお、こうしてここにあることこそ、ミカエルさんの真意なのだと確信しました。
ありのままに、目を逸らさずに、瞬きもせずに、自分を見つめることこそ、生きることなのだと言っているように感じました。
最後の審判を司るミカエルさんらしいメッセージだと思いました。
私たちは人生を長く生きている間に、ずいぶんと余計なものを身に着けてしまいます。
自分への過剰なプライドや他人への根拠のない先入観や親に強いられた自分に合わない価値観などは、時として自分を見失い、人生を生きにくくさせます。
ここへ来るとずいぶんと大変な道のりを来るものですから、昔の人は最後に残っている「気力」がすべてだったのではないでしょうか。
余計なものをそぎ落とすと、自分の本来の姿が現れます。
自分はいったい何者なのか?向き合う場所こそが「聖地」なのだと思いました。
向き合う場所と言えば、日本の神社の「鏡」に写る自分。そうです、拝殿の前に立つと目の目にある神鏡です。
祈りとはまさに、全世界共通ですね。
明確に、確実に、自分自身と繋がる場所。
その人の信仰心に合わせてわかりやすく、天使さんや神様に見守られながら、自分自身に向き合う場所。
そこで何を聞いて、何を誓うのか?「聖」という字に「耳」も「口」もあることに気づきました。
ありがたいですね。
(島内から干潟を望む)
島はぐるっと1時間ほどで回れる大きさでした。礼拝所もあり、外にでて空を仰ぐと朝陽を受けて輝くミカエルさんが目に飛び込んできました。
「ここにしよう。」
トートバックに沢山入れてきた石達を石塀の上、ほかの観光客さんの邪魔にならないところにひとつひとつ、並べました。
(ミカエルさんの影が下の水面に映っています)
(ハートで描いたこの辺でアチューメントしました)
上空をカモメが飛び交う中、夢中で撮影していました。気づくと1時間くらい経っていました。
次の目的地、ルーアンに向かう時間が迫っていました。
お土産もの屋さんでポストカードとちょっとしたものを買い、いろんなことを考えながら、金色に輝くミカエルさんの姿を何度も振り返りながら島を後にしました。
<次回、➁ルーアンへの旅に続く>