こんにちは。
エマです。
先日、誹謗中傷により
ある芸能人が命を断ちました。
悲しいニュースです。
ある人は
「芸能人なのだから、誹謗中傷くらい覚悟して当たり前」
ある人は
「芸能人の前に人間なのだから芸能人だって傷つく」
といろいろな意見がネットでは飛び交っていましたが、
スピリチュアル的に見たら
「誹謗中傷をするということ」は
どういうことなのか、ということについて書いてみました。
目次
見えない世界での因果応報の法則とは
まず、
この世は
裏表、光と影、必ずワンセットということを先日ブログでお話ししました。
ワンセットもそうですが、
もう一つ、
因果応報の法則
があります。
自分がしたことは自分に返ってくるということです。
これは以前、生き霊についての記事にも書いたのですが
基本的に
ネガティブなエネルギーを発することは
ネガティブなエネルギーを受け取る覚悟をしてから行う、
くらいに考えていいほどです。
自分がした悪事は
スピリチュアルな世界では
目の前に存在する相手にしたことでも
実は
相手を守っているご先祖様や
神様にしていることと同じなのです。
その人が
この世に存在するには
たくさんの御加護があり
魂が肉体に宿るわけです。
もちろん、魂が「今世での課題」をこなすためにも自分で時代や性別などを決めて生まれてくるわけですが、
それでも
その魂の故郷があり、
たくさんの魂や神様に見送られてこの世に来ています。
もちろん、
自らの死をもってして自分の課題を全うする尊い魂もあります(死によって多くの人の意識を変えるなど)。
この世での課題を果たすためにはさまざまな苦難はつきものです。
それがその人を成長させる糧になるからです。
しかし、
因果応報の法則は
たとえ「その人のために言ってやった」と大義名分のもとにされた行いでも
相手が傷つき、恨みをかうような言い方や態度では
むしろ
問題をこじらせます。
言った人は正義のヒーローか何かになったつもりで自己満足するかもしれませんが、
その言霊は
相手が鏡となり
そのネガティブなエネルギーは自分に跳ね返ってきます。
これは
ネガティブな言葉に限らず、
ポジティブな言葉でも同じことです。
優しいエネルギーの言霊は
相手が鏡となり
自分に返ってきます。
問題は
ネガティブなエネルギーを持つ言葉が
相手に届いて
相手がそこで傷ついたなら
その言霊にさらに相手のネガティブな感情が
追加されて
自分に返ってくるということです。
人間関係において相手が幼い(大人でも無知)の場合も「愛」が大切
しかしながら不本意ながらも
こちらが発する言葉で相手が傷つく、ネガティブに受け取る理由に
「幼さ」「無知」
ということがあるでしょう。
こちらは大切なことだから
厳しく言っているのに、
それを理解できない相手の場合です。
例えば
犬に
交通ルールを教えても
理解できるわけがありませんよね。
まずは
相手が自分の言葉を
理解できるのかできないのかです。
理解できない相手の場合、
いくら
「飛び出しは危険だよ」
と教えても無駄です。
相手が犬でなく、幼稚園児ならどうでしょう。
まず、
交通ルールというものがある、
という社会の仕組みを教えることからスタートです。
まずは、知ってもらうことです。
順番があります。
『無知の知』と
哲学者ソクラテスは言いました。
「人間がよりよく生きるためには?」
の答えとして『無知の知』の重要性を説きました。
『無知の知』とは
真の知に至る出発点は無知を自覚することにある(スーパー大辞典より引用)
ということです。
論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」というこれに類似した言葉があります。この意味もまた、
「無知であることを自覚することで、新たな学びを得たいという気持ちになり、その結果無知を克服して成長する」という意味です。
相手の理解力を想像するのも「愛」です。
理解できない相手には
理解させる必要性や重要性を伝えることから始めなければ
相手のためを思って厳しく注意しても
(相手は意地悪されたと認識したりして)
やはり
だだの意地悪になってしまうこともあります。
ただの自己満足の知ったかぶり(承認欲求を満たすために相手を利用した)と勘違いされる場合もあります。
ここは注意が必要で、
ここを間違えると
自分ではそのつもりもないのに
(相手の理解力のなさからくる)本来受け取る必要のないネガティブなエネルギーを受けとってしまいます。
ネガティブなエネルギーを受けると自分の「徳」の貯金が減る
自分に返ってきたエネルギーを
怖くない、
なんとも感じない、
霊感がないからヘッチャラ!
と強気な人もいます。
しかしながらそれは、
スピリチュアルな世界では
その人を守る「徳」の貯金を減らす行為です。
「徳」とはいわゆるその人が積んできたいろんな人からの「感謝のエネルギー」と考えていいと思います。
特に「徳」として質が高いものは
人知れずに誰かの役に立つ行いをし、決して自分がそれをやったと相手に恩をきせない行いです。
ここで「徳」の話をしますと
「徳」を積むとなぜ良いのかというと、
「徳」はその人を悪いエネルギーから守る見えないシェルターの役目をするからです。
見えないシェルターは
単なるシェルターだけでなく、自由自在に形を変えてその人を守ります。
例えば、
その人に何か困ったことがあったときに
その人を助けるように
誰か(助け人)にメッセージを届けます。
この世は3次元ですから、
その誰かによって実際は救われるのですが
その誰かに働きかけて
「お願いね、その人を助けて」と知らせてくれるのは
その人の「徳」のエネルギーです。(神様のご加護の場合もあります)
そのメッセージを受けて(無意識ではあるが)実際にそのメッセージを受け取った人が
助ける行動をしてくれるのです(もちろん、そのメッセージを受けた人もそこで徳を積めるわけです)。
せっかく陰で良い行いをして「徳」を積んでいる人でも
実際にネガティブなエネルギーで
誰かを傷つけたりしていたら、
結局は自分のエネルギーを下げる行為になります。
また、
その下がったエネルギーの状態で
自分にどんなことがやってくるかは
その人のカルマ(魂の課題)によっても違います。
また、その人を守ってくださる神様の采配にもよります。
ですから、
自分が発したネガティブなエネルギーで
もし、
うっかり誰か傷つけてしまったと感じた時は
本人に謝るのはもちろんのこと、
その人を守る見えない存在や
自分を守る見えない存在にも
「ごめんなさい、今のは取り消します」
と伝えなければいけません。
そして、因果応報の法則は
必ず
本人に返るものでもありません。
本人が大切にしている人やものに返る場合もあります。
大事にしていた何かが壊れたり、無くなったりということもあります。
何か良くないことが起こったからといってすべてを因果応報の法則のせいにするのもどうかと思いますが、不思議なことが起こるという体験が続くのであればそれも可能性として考えてみる必要があります。
必要ならば、何らかの方法で傷つけた相手へ謝罪をしたり、時間が経ちすぎているのであれば神社仏閣へ参り、お力を借りるべく反省の気持ちを伝えてくるのもよいでしょう。
因果応報の法則はただのシステム(仕組み)に過ぎない
ですから、
エネルギーというのは
良いエネルギーも悪いエネルギーも
自分だけのことではなく、
家族、社会、世の中、地球と
全部繋がっていて
実は一つの大きなエネルギーの一部なのです。
地球を美しい星にしたいと思うなら、
自分の心からの美しい言葉やポジティブなエネルギーを口から発するだけです。
大きなことはできなくても
十分効果があります。
因果応報、というと怖いイメージですが、
ただのシステムです。
水を上から流せば、下に流れる
という自然のシステムと同じです。
しかし、このシステムをどう活用するかは人間次第です。
ネガティブなエネルギーを流すのか
ポジティブなエネルギーを流すのか
毒を流すのか
聖水を流すのか
そして
それが川ならば
流したものによって
何がどうなるのかは
知恵を授かった人間ならば
容易に想像できるはずなのです。
それが充分に想像できないから
人は間違いを犯したりしてしまうのです。
もちろん、人間は間違いを犯す生き物です。しかし、同時に過去から学び未来に生かせる行動ができるのも人間です。
これからの世の中を生き抜くために必要な力とは「想像力」
これからの世界は
ますます変化の一途を辿るでしょう。
「コロナ後」、という言葉がありますが、
まさに目に見えることだけでなく、
目に見えないことまでも
しっかりと想像力を働かせて、知恵を絞り、
どう生きていくのかを
突きつけられているのだということです。
今まさに、
必要なのは
この人間としての「想像力」なのではないでしょうか。
これをしたら、
相手がどう感じるのか?
どう思うのか?
何をしたら喜んでくれるのか?
何をしたら自分は幸せなのか?
人間として
これがわからない人は
今後、ますます生きにくくなり、
(先程話したように「相手に理解力があるかどうか」も想像力でわかるはずです)
これがわかる人は神様にも応援されて
どんどん発展して良い人生になるはずです。
以上、
ここまで書きましたが
今朝降りてきた
神様からのメッセージでもあります。
(途中から疑問が湧いてきまして、わからないところは神様に質問しながら書きました)
拙い文章でわかりにくかったら、ごめんなさい。
最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。
神様にも感謝いたします。