こんにちは。
スピリチュアルカウンセラーの冥賀都子(エマ)です。
前回、フランスのサンマリーで開催されたミネラルショーに石を買い付けに行った時のことをブログに書きました。
今回はそのサンマリーからパリに戻る時に、立ち寄った小さな街でのミラクルをお話したいと思います。
個人的な話なので、皆さんにお役に立つかどうかわかりませんが、よろしければ読んでみてくださいね。
サンマリーのミネラルショーで無事に買い付けを終え、さて、パリに戻るという時にせっかくなので、近くの街に寄ってから帰ることにしました。
ちょうど、宿泊していた小さな街からもう少し大きな街まで列車で20分くらいです。(パリに戻る際にどのみちストラスブールは経由します)
寄った街は以下の3都市。
どの都市も小一時間もあれば回れる感じです。
・コルマール
・リボヴィレ
・ストラスブール
なんとか大急ぎで3つを回って、パリに帰ってきました。
フランスは何度もお伝えしましたが夜22時まで普通に明るいので、そういう意味ではパリに夜20時くらいに着いたとしてもまったく問題ないのです。(治安の良いとされる6区にホテルをとったのもそのためです。)
私にとってのミラクルはコルマールの街で起きました。
コルマールの街の様子。中世に栄えた街。↓
(教会の屋根にコウノトリが棲んでいます。お土産物のモチーフにもなっていました。)
帰国してから知ったのですが、コルマールの街には『ハウルの動く城』に出てくるソフィーの家のモデルとなった家があります。
たまたま、ここを通りがかってちょっと古くて変わった建物だったのでたくさん写真を撮ったのですね。
「プフィスタの家」というそうで、かつて帽子職人だったプフィスタさんが買い取ったことでそう呼ばれるようになったそうです。
(ここが『ハウルの動く城』で帽子屋さんのモデルになった「プフィスタの家」です。16世紀に建てられました。たまたま撮影していました。良かった・・・(笑))
「コロンバージュ」と呼ばれるアルザス地方によくみられる木組みの建築方法で建てられた造りの家です。
突き出た屋根のような部分も特徴的です。
(この家も特徴的ですね。一階部分はワイン屋さんでした。)
それで、私が今回体験したのは、ここにあるウンターリンデン美術館での出来事。
(ウンターリンデン美術館 外観)
《イーゼンハイムの祭壇画》という今から500年前の1512年~1516年に描かれた絵が有名です。
折り畳みのパネル式になっていて、木の板に描かれています。
時間がなくて、とにかく写真だけはいっぱい撮ってきました。
もともとは修道院だった場所が美術館になっていて、かなり広く、《イーゼンハイムの祭壇画》が置かれている礼拝堂のほかの部屋には、19世紀から20世紀の現代美術コレクションもあります。
私が特に気になったのは、この時、とにかくこの回廊がやたらと霊気の漂う場所で(良くも悪くも)部屋から部屋へ移動する時に一旦、この回廊に出るのですが、鳥肌が立ち、頭の毛に関しては静電気でも流れているのでは?と思うほどに逆立つ感じで「ゾワゾワくる」場所でした。でも、どちらかというと毛穴から何かが抜けていくような、スッキリするような感覚なのです。放電、という言葉も合っているかもしれません。
(中庭)
先日、前世のお話をさせていただきましたが、
私がこの回廊を歩いている時にふと、なんだか懐かしいという記憶とともに、息苦しいような気持にもなりました。
(二階部分は昔、修道士たちが暮らした部屋です。いくつもありました。二階から中庭を見ました。)
はっきりとビジョンで視えたわけではありません。
ただ、なんとなく感じていたのは、閉鎖的な感情です。温かい感情も沸いてきました。
ペスト患者を隔離する療養院の為に描かれた《イーゼンハイムの祭壇画》。当時は治らない病気とされていて、作家のマティアス・グリューネヴァルトは患者の心を少しでも癒すために、彼らと同じように苦痛を持った救世主イエスの祭壇画を制作したそうです。
「苦痛を苦痛で癒す」という発想の祭壇画は当時はとても珍しく、過去に雑誌BRUTUSの「人気画家・山口晃の死ぬまでにこの目で見たい 西洋絵画100」特集にも取り上げられていたということです。
そして、こちらの美術館は13世紀のドミニコ会派修道院を改造して開館されたとのことです。
当時はここで修道士たちが寝食を共に生活をしていました。
その時に使っていた家財道具なども展示されていました。
(こちらは当時使われていたクグロフというケーキの型)
私は、どうしても「キリスト教」に関して知ることを避けてきたようなところがあり、興味がないわけではなく、なんとなく拒絶しているような感覚がありました。とはいえ、たまたま訪れる旅先ではこのように身体が勝手に反応してしまうことが度々あり、何か前世で関係していたのだろうと思い始めたのが25歳の時です。
縁があって20代でバチカン市国を2度訪れているのですが、サンピエトロ大聖堂の中にあるミケランジェロの「ピエタ像」を前にした瞬間、身体が動かなくなり、滝のように目から涙が溢れてきたのです。噴き出てきた、という表現のほうが近い状況かもしれません。
すすり泣くとか、ワンワン泣くとか、そういうものではなく、ただ静かに、頬を涙がとめどなく流れてはポタポタと石の床に落ちていきました。
どうしたことだろう、と自分でも訳がわからずに、困ってしまいました。
当時は霊性を閉じていましたから、とにかくその感覚が不思議すぎて、というかなりインパクトの強い体験をしました。
今回のこの美術館には、たまたま通りがかったので寄ってみたくらいの気持ちだったのですが(日本から出発する時は来るとは思っていませんでした)、ここの回廊でそのバチカンで見た「ピエタ像」を思い出しました。(※「ピエタ像」・・・ピエタとはイタリア語で「あわれみ」とか「なぐさめ」という意味で、十字架から降ろされたイエス・キリストを抱きかかえる聖母マリアの姿を表した作品のことを指します。)
先日、動画の中でお話しましたとおり「前世というのは自然に知るべき時が来たら知るくらいがちょうどよい」、というのが私の持論で、私自身もあまりそこを深く追求することをしていません。そこに執着してしまうと頭が混乱して、目の前の現実に向き合えなくなってしまうからです。
実際、私もこのわけのわからないバチカンでの体験の後で、ふとその理由を前世と絡めて幾度となく考え巡らせたことがあるのですが、結局は思い出せることはなく、パッパと映像が切り替わるようにビジョンで視た景色さえも、その関連性を決定できる根拠もなく、検証するには材料が乏しすぎて、考えるのをやめた経験があります。
だいぶ前に前世療法なる書籍があり、手に取って、どんなものかやってみたところ、かなりリアルな映像が出てきました。初めてここに書きますが、私が見たものはアメリカのある鉱山の洞窟の映像でした。何世紀かはわかりません。ただ、そこには私だけでなく、数人の男性が一緒にいました。私は男性でした。それで、何やら男性同士が口論をしている場面を見ました。採掘権の話でもめているようでした。誰が最初に見つけたとか、そんな話をしていました。それから、その映像は「ズキュン」という大きな音とともに消え、そのあとはもう何も見えませんでした。
私が殺されたのか、はたまた誰か仲間が殺されたのか、わかりません。
物騒な話ですね。
でも、きっと鉱山に関係することをしていたのでしょう。アメリカには興味があってもなぜか行きたくありませんでした。45歳を過ぎて、やっと行ってもいいかなと思いましたら、すぐに行く機会がやってきました。それがツーソンミネラルショーです。初めてアメリカ大陸の地を踏んだのは、ミネラルショーの時でした。
話を戻しますと、前世というのは1つではなく、私が自分で感じている限りではいくつも転生していればその数だけあり、私の場合ですと自分で感じているものはそのアメリカでの体験とピエタ像での体験とあとほかに2つあり、4つの人生をちらちらと何かの機会に思い出す感じです。それも確実性はありませんし、常に検証レベルなのですが、今回のウンターリンデン美術館の回廊での鳥肌はバチカンでのあの時に近いものがあり、おそらく修道士(女)として生きたこともあったのではないかと思いました。
5つ目の前世も実はあるのですが、これはセドナに行った際に見てもらうつもりはなかったのですがたまたまご縁があって知り合った霊能者の女性に言われたことがありまして、まだ私の中では「点」という位置づけです。そのうち「線」になるのか、ならないのか、俯瞰しながら検証を重ねていくつもりです。
学生時代に中世の時代を舞台にした映画や書物に惹かれたのもそのせいかもしれない、と今にしてみれば思い当たる節があります。
子供の頃から天体に興味があり、西洋占星術は7歳の時に始めました。タロットカードは8歳の時に親に買ってもらいました。やり方は図書館に通って借りた本で覚えました。星座を見て同時にギリシャ神話に興味を持ち、それも図書館で調べて覚えましたが、中世のルネッサンスではギリシャ神話をモチーフにした絵画がたくさん描かれました。大学では英文学を専攻し、たまたま同郷だった教授との出逢いがきっかけでシェイクスピアを研究するゼミに入りました。ちなみにシェイクスピアの年代を覚えるのに「人殺しいろいろ=1564年~1616年」と覚えることは専攻している学生なら周知のことですが、文字のごとく、万人の心を熟知したシェイクスピアは劇作家として今なお人々の心に響く作品を多く生み出しました。シェイクスピアの作品をテーマにした舞台もよく観に行きました。
前世について、補足的に書かせていただきましたのは、前世を思い出すこととと今世でそれをリンクさせることはワンセットになっていると感じています。
自分に前世を知る準備ができて、ようやく今世に生かせるので、そういう意味で「自分の感覚」で前世を探っていくことはとても自然に理解できるものですし(受け入れられる)、他人に話す必要は本来ないものですので、自分の中の可能性や才能、潜在能力の開花にプラスになるものと思っています。
前世を知る方法として、行ったことはないけれど惹かれる街とか、テレビを観ていて「知っている」と感じる街などあれば是非、足を運んでみるのもいいかもしれませんね。
また、なぜか「行きたいと思わない」という場所ももしかしたら、私のように関係しているかもしれません。
それで、何がミラクルだったかと言いますと、
ここ、ウンターリンデン美術館で偶然、「ゲルニカのタぺストリー」に出逢ったのです。(タピスリ、とも言います。)
(「ゲルニカのタぺストリー」)
美術館の上のほうの階に行くと、ルノワールとかピカソとかの絵画も展示されていました。
そこで、大きな部屋にドーンと飾られた壁一面のタペストリー。それは、私が4年前に近所の群馬県立近代美術館で見た絵とそっくりだったのです。
あ!これ、知ってる!
と思いました。
でも、なんでここにあるんだろう?同じもの??
それで、その場でスマホで調べたのです。
すると、この「ゲルニカ」をモチーフにしたタペストリーはなんと世界に3枚しかなく、そのうちの一枚がこのウンターリンデン美術館にあると書いてありました。
残りの2枚は、日本の群馬県立近代美術館とアメリカニューヨーク州にある国連本部です。
まさか、生きている間に3枚のうちの2枚を見たことになるわけです。
なんとも偶然な出逢いに本当にびっくりしました。
群馬県立近代美術館(群馬県館林市)に観に行った際も、ちょうど企画展でタペストリーを公開した時でした。その時はコロナ前で、企画展として作家の原田マハさんもお招きしてトークライブもありました。(トークライブには参加できなかったのですが)
これもたまたま原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』を読んだ後で鑑賞したのでとても印象深く残っています。
あとで調べたのですが、なぜそんなすごいものが群馬県にあるのかと言いますと、当時はタペストリーなんて「ピカソの絵だけれどレプリカみたいなものだ」といって誰も買わなかったとか。それで、当時破格の安さ、9,600万円で落札したのが群馬県立近代美術館ということです。
先見の明、というのはこういうことでしょうか。
ちなみに宇都宮市立美術館はルネ・マグリットの『大家族』という絵を所有していますが、こちらは約6億円です。
著名な絵画というのは、そういう値段で取引されているので、それに比べると群馬県立近代美術館が落札した価格は破格の安さなのです。
ウンターリンデン美術館自体は、ルーブル美術館についでフランスでは2番目に来場数の多い美術館だそうです。
でも、コルマールという場所は何度もお話したとおり、パリからはとてもすぐに行けるような場所ではありません。日帰りはかなりきついです。
余談ですが日本企業のリコーさんの工場があり、日本人も駐在員として暮らしているようで、バブルの頃はリセ・セイジョウ・ダルザス(Lycée Seijo d’Alsace)、アルザス成城学園中学校、高校もあったようですが今はないそうです。
アメリカの自由の女神の作者バルトルディはコルマール出身の彫刻家です。
(バスから撮影。街の中にありました。自由の女神像。)
ちなみにオックスフォード大学留学時代の天皇陛下とハーバード大学留学中の雅子妃殿下がこのコルマールで若い頃、待ち合わせしたとかしないとか、マスコミが騒いだことがあったそうです。
それで、今調べたら、なんと7/13から群馬県立近代美術館で所蔵の「ゲルニカ」のタペストリーの展示があるそうです。
なんという偶然!!ラッキーですね。
見たことがない方は是非、おすすめします。
2024年7月13日(土)から8月25日(日)
群馬県立近代美術館 HPより
次、路線バスを使って訪れた「リボヴィレ」という街は遠くに、中世のお城が見えて、コロンバージュの建物が昔のまま残っていて素敵な街でした。
10分も通りを歩くと広場に出て、昔のワイン樽が置いてあり、情緒たっぷりです。ちょっと軽井沢っぽいな、と思うのは私だけでしょうか。
そぞろ歩く観光客と、自然の美しさ景色、のんびりした雰囲気が似ています。
(遠くに見えるのはリボヴィレーの街から大きく見えたサントゥルリッシュ城)
最後にパリへ戻る列車の時間までストラスブールの街を散策しました。ここは雨がぱらついてきたので、荷物を駅のコインロッカーに預けて、傘をさして行きました。
(街中を通る路面電車トラムで移動)(ストラスブール大聖堂)
ここもドイツになったり、フランスになったりした街で、また運河に囲まれているので商業が栄えた街だそうです。
「フランスのヴェネチア」と呼ばれるほど、たしかに運河が多く、舟での観光もできるようになっていました。
目を見張る大聖堂は圧巻で、特徴的なのは尖塔が一つしかないことです。
尖塔が完成したのは1439年(日本は室町時代)。高さ142メートルのストラスブール大聖堂は、17世紀から19世紀まで200年もの間、一時期を除いてキリスト教建造物の中で「世界一の高さ」を誇っていたそうです。
たまたま普段開かれることのない真ん中の扉が開いて、お祭りのように沢山の人が広場に集まって、音楽隊ととも街の通りを馬車と何かの像が通り過ぎていきました。周りはフランス語で私は何も聞き取れなかったのですが、ちょうど祭典か何かだったようです。
(細い路地を散策。お菓子屋さん、アクセサリーショップもありました。)
列車の時間が迫っていたので、ストラスブールの駅にまた戻って、帰路につきました。
そんなわけで、私のミラクル体験はウンターリンデン美術館でのゾワゾワと偶然出逢った「ゲルニカのタペストリー」の話でした。
(パリに戻って、まだ21時。ノートルダム寺院まで行ってきました。) (この時間でも観光客でいっぱいですね)
(一日、平均12,000歩歩きました。)
(日没です。22時手前の時間。)
(帰りの飛行機。天使の羽根がお見送りに来てくれました。)
あ、そうそう。
日本を出る前にミカエルさんからメッセージが来ていたと動画で話したのですが、
「行き先によって守護を変えると良い」と言っていました。
なので、私は天使のモチーフの御守りを持っていきました。ローズクォーツの天使さんです。
最後、飛行機の中からこの雲を見た時に、受け取ったメッセージがちゃんとミカエルさんからだったと確認できてホッとしました。
道中、守っていただけたことに感謝です。
私の個人的な話にお付き合いくださいまして、感謝いたします。
本日も最後までお読みくださいまして、どうもありがとうございました。